答えは簡単です。必要だから無くならないのです。
原始から現代にかけて、多種多様な恋愛、結婚の形が人にはありました。
それは「心」から湧きあがった物に従った結果なのかも知れません。
多様性。それこそが真理かも知れません。
気学の観点から見ても、現実的に考えても
「1人で全てのジャンルの物事を完璧に賄う」のは
不合理です。
人には得手不得手が有り、それを「気質」でとらえたのが気学です。
「たった一人の最高の相手」を探すのが結婚の定義のような
感じはちょっと恐ろしさすら感じます。
では、二人でお互いが支え合っていけば・・・実はこれだけでも不十分です。
気学は、一方から一方へ良い気が流れるのが定理です。逆流はありません。
と言う事は「夫ばかりが得している、私ばかりが大変で・・・」や
その反対の状況と言うのは自然と起こる話なのです。
心の疲弊感を感じたりもします。
気学の心得がある方ならば、相手にして上げた事が別の人や形で
返ってくるのを知っているので心の平穏も保てますが
やはり、相手に尽くした気持ちが、その場で返って来なければ不満に思うのも仕方ありません。
そういった時に「別の人や形で現れる救いの手」の一つが
不倫の恋なのかも知れません。
良く人生は「自転車」に例えられます。
漕ぐのを止めたら倒れる自転車。
それで山坂進む事。
もし結婚も自転車ならば、なんと生き辛く楽しくなくなる
話なのでしょう。倒れたらゲームオーバー・・・
心が苦しくなりますね。
こんな例えを周りに言ってしまうから
最近の若い人たちの結婚が遅くなっているのではないでしょうか?
ちょっと考えてみましょう。
何故、そんな自転車みたいな転びやすい物なのでしょう。
それならば・・・補助輪を付けたらどうでしょう。
あなたを「アシスト」してくれる人。
ちょっと疲れたら休んでも、また走る事が出来ます。
それが不倫なのでは無いかと考えます。
誰かがあなたを助けてくれる環境ならば良いでしょう。
子供や家族や社会が補助輪ならばそれも良いでしょう。
しかし、恵まれた場面ばかりではありません。
人生や心が自転車ならば・・・倒れない事が重要です。
それも長い人生を漕ぎ切るには必要な物なのです。
倒れなければ、走り続ける事が出来るからです。
走りだす感覚を持つ事が大事なのです。
子供の頃にお世話になった小さな自転車。
そんな物に少し似ているのかも知れません。