あの人とは縁があるのでしょうか?無いのでしょうか?
と言う相談を良く受けます。
一般的な返し方では無いのでやりませんが、真理をつけば全て「縁は有りますよ」が正解です。
■そもそも縁が無い人とは出会えない
「袖振り合うも他生の縁」ということわざが有ります。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、因縁によって起こると言う思想です。
前世では、ちらっと話しただけの人が現世では配偶者となったり。
前世では弟だった人が、現世では親だったり。
自分と関わる人は必ず「縁」で結ばれているから会えます。
無い人とは少しも話す事はないし。現世でも来世でも出会えない。
と言う位に「縁」は力強さがあるそうです。
「世間って狭いな~」と実感する事が多々あります。
世界には60億人居るのに、またこの人とここで会ってしまうのか!と。
縁とタイミングが合えば、何年後でも出会ってしまう物です。
■「縁」は簡単には切れない
引っ越したり、目の前から消えた人と再度出会う。
それは「復縁」なのでしょうか。
旧友と久々に会って、酒を呑む。
ずっと連絡していた訳では無いのに
すっと一緒に居たかのような楽しい時間。
これを復縁と呼ぶでしょうか?違いますよね。
これが恋人や配偶者であっても同じで
「復縁」では無く「ただ連絡が途絶えた」に過ぎない間柄なのでは無いでしょうか?
きっかけやタイミングだけ。
心の中では繋がっている間柄なのではないでしょうか?
■本当に縁切りたい?
神社でもポジティブなイメージの「縁結び」祈願は割と有名ですが
実は「縁切り」祈願と言うのも行っているのはご存知でしょうか?
どうしても縁を切りたい相手との縁切りの祈願です。
相手と別れた方が良いのではないか?と言う
辛い悩みがずっと有る方には心惹かれる事かも知れません。
しかし、祈願の前に。
「縁が無くなった人とは、来世でも会えない」
本当に来世で会えなくても良い人なのでしょうか?
少なくとも出会えた相手と言うのは
「自分にとって必要な人」だと思います。
■縁が有ったのなら、あとはコントロール
縁の事を考える事が出来る相手とは、そもそも縁が有ったのです。
縁はカルマ、業の人生のテストの一種とも考えます。
出会えたこと、会えない時間が有る事。
全てには意味が有って、自分の成長に必要な人なのです。
ならば、縁が有るか?無いか?に固執すると言うのは
トライすらしないと言う事です。
縁に対して、一番ネガティブな捉え方のように思えます。
相手との縁に、楽しい時も辛い時も、思いをはせ、色々思考を巡らせる。
その時間を大切にする事こそが縁との楽しいつきあい方では無いでしょうか?